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【UTTOCOな人】長嶋貴生さん_vol.28 2018


 伏見区桝形町にある、町のデンキ屋。しかし、電化製品の販売や電気工事だけでなく、地元の方に寄り添ったサービスである「暮らしのお困りごと解決」に取り組まれておられます。昔から、地域に根ざしたお店だからこそできること、会社としてそれらの事業を受け継がれている想いを長嶋屋株式会社の長嶋さんにお話を伺いました。

まちの声を大切にしながら

Q:長嶋屋株式会社について教えていただけますか。

 遡ること400年前の室町時代、私の先祖が三重県と和歌山県の境、塩業が盛んな紀伊長島より今の地の伏見区桝形町に塩を持ってきて販売したのが商売の始まりでした。その後、時代の移り変わりで炭の販売を商売としていましたが昭和12年ごろの日中戦争の混乱期に一旦閉店しました。当時の屋号は長嶋屋でした。

 昭和38年に父親が自宅の片隅でラジオの修理屋として「長嶋電機サービス」という名で電気屋を始めました。当時各家庭にあるのはラジオでテレビは珍しい時代でした。地域や地元、世の中に必要とされる事はラジオを修理することでした。後に家電製品を販売することになり町のデンキ屋の全盛期になります。

 時代の移り変わりと共に1985年ごろから家電の量販店が出始めました。そのころから町のデンキ屋のやり方は今の世の中に合っていないのではないかという兆しが生まれ始めました。町のデンキ屋は軒並み廃業に追い込まれました。我が社の対策の一つとして法人化し「有限会社 長嶋電機」として組織変更し必死で量販店に対抗しました。

 私が家業を継いだのは1992年。同時に大規模な電気工事も手掛けるようになり、社員も増え順調でした。しかし、2008年のリーマンショックで中小企業は大打撃を受けます。我々、零細企業には関係がないと安心していましたが、電気工事は激減しました。このままでは社員を路頭に迷わせてしまいます。悩みに悩んだ末、もう一度原点に帰ろうと思いました。電気屋の原点ではなく先祖が400年前に築いた長嶋屋を。長嶋屋は地域にないモノ、地域が必要なモノを提供し、この地で永く商いをさせて頂くことができたのです。

 そういった想いから、4年ほど前より家事代行など地域の方が生活するのに困っている事の解決を事業としてはじめました。町のデンキ屋の仕事の一例で、お客様宅へ冷蔵庫を納品時古い冷蔵庫を移動させた際に埃がたまっていたら、キレイに掃除してから新しい冷蔵庫を設置します。私たちが当たり前にしている冷蔵庫設置前の「掃除」、照明の電球交換したついでに「照明のかさを拭く」といった事をお客様の声をもとにサービスにしていこうと考えました。

 長嶋屋というDNAは、地域に必要とされているモノ・コトを提供し地域に役立ちたいと思っています。そのような想いがあるから400年も続いているのではないかと思います。デンキ屋として今年で55年を迎えますがこれからも必要な存在でありたいと考えています。そういった想いがあるからこそデンキ屋として55年続けられているのではないかと思います。電気の技術を基本に、細やかな配慮と小回りの効くサービスを行うのが町のデンキ屋であり、地域に今必要なモノを提供するのが長嶋屋です。

Q:チラシを拝見すると、とても多くの暮らしの困りごとの解決をしてくださいますよね。電気工事や電器製品の修理はもちろん、お買い物や犬の散歩などもあります。それらは、どのようにしてメニュー化されているのでしょうか。

 チラシに載せているメニューはすべてお客様の声をサービス化しただけです。例えば「蜂の巣退治」は、テレビのアンテナやエアコンをつけに行ったとき蜂の巣があれば退治しないと取付けできません。私たちは電気工事のついでにそれらの事を行っていましたが、ある時お客様から蜂の巣の退治にだけでも来てほしいという声がありました。

 また、庭の枝木が隣の家に入ってしまい切りたいけれど体力が衰えることができなくなってしまった。それを植木屋さんへお願いするのか、建築屋さんへお願いするのか、判断に困るという話を聞きます。そこでいつも電球交換などで家にあがり顔見知りのデンキ屋の私たちなら頼みやすいということで依頼がありました。ある時は、家族旅行でワンちゃんだけが留守番というお客様へはワンちゃんの散歩の代行、買い物に行くが荷物が重たいという方には買い物同行、足が悪く外に出られない方へは買い物代行、ありとあらゆる「困った、どうしよう」という時に私たちがお手伝いします。

 私たち町のデンキ屋は暮らしの困り事メニューに書かれている事を55年前の創業時から行ってきました。当り前の事なのです。できていなかったのはメニューに書かれていることを知ってもらってないという事でした。私たち町のデンキ屋は地域の皆様に「何をやっている店なのか」「何ができる店なのか」をもっと知ってもらわなければと思いメニュー化しました。

(毎月発行されている、新聞。安心して利用してもらえるようにとスタッフの写真つき。)

Q:電気屋さんとして「デンキの病院」という名前をつけてされていますが、それは、どのようなものですか。

 4年前までは、量販店と同じように家電品のチラシを配っていました。チラシを見た人から電話で「家電品の〇〇がほしい」と言われ、言われた通りの商品を持って行くだけでした。しかし商品は、ネット・量販店・町のデンキ屋のどこで買っても同じ商品であれば品質は同じです。価格競争して同じものを売るのではなく、うちは価格競争できないものを商品にしていこうと考えました。

 その中で、冷蔵庫が壊れたときに新しいものへの買い替えを勧めるのではなく、どのような使い方をされているのかをしっかりお聞きしながら買い換えた方がいいのか、修理したほうがいいのかを一緒に考えます。機械の診断はもちろん、お客さんの心の状態も聴きながら、1番いい方法を考えます。

 電気屋がしている病院のようなものなので『デンキの病院』と名付けました。「暮らしに関わることなら、なんでも解決します」という気持ちでやっています。これからさらに高齢化が進み、一人暮らしの高齢者も増えてきます。そのような人たちを地域で助けないといけないと考えます。

代々、受け継がれている想い

Q:長嶋さんのお話を聞く中で、「地元」や「地域」という言葉が多く出てきているように感じます。伏見で生まれ育ち、電気屋ということもあり、幼い頃から地域の方との関わりもあったと思います。地域への思いや貢献は意識しておられたのでしょうか。

 全く意識していませんでした。私は小学生のときから1つだけネガティブな夢があり「町のデンキ屋にならない」ことでした。電気屋を避けていたのです。

小学校1年生の頃から、お客様宅での搬入手伝いをしていました。お客様宅で親から「しっかり挨拶しなさい」と注意され、物を運ぶときに「しっかり持ちなさい」と言われ続け、「デンキ屋は大変でやりたくないな」と思っていました。

 昔は1階がお店、その奥が台所でしたので商売の嫌な所がよく見えました。お客様に親が頭を下げているところや、怒られているところ、否定的な事ばかりを近くで見ていました。そんな理由で「こんな、町のデンキ屋なんてなりたくない」という気持ちになっていったのだと思います。

 しかし、最初に就職した先は空調会社でした。その業種を選んだ理由は「自分の技術で人の役に立ちたい」と思ったからです。そう思うのは、長嶋屋のDNAかもしれません。人のお役に立てることは何かと考えた時、昔から手伝いしていたクーラーを付けることなのかなと思い自然とその仕事を選んでいました。その会社で5年働いた後、起業しました。

 1995年には実家である長嶋電機(現長嶋屋)に入社しました。入社時は父・母・姉・弟の家族経営でした。家族経営のため、プライベートと仕事の境がわかりにくくなりストレスを感じていました。それが一番決定的になったのは、お客様の家で親子喧嘩が始まり、お客様が止めに入るという事態になったときでした。

 「もう家族経営なんていやだ、家族のためだけの狭い視野で仕事をするのは嫌だ」と思い、家業から企業へと方向を変えていきました。その方向へ進むとスタッフも増えていきます。スタッフが増えると売上を今まで以上に増やしていかなければなりません。売上を増やすには営業活動です。お客様宅へ一軒一軒訪問していきます。物を売ろうと必死になります。そんな中「あんたのお父さんに世話になったわ」「こんなことを助けてもらったわ」「近所にあんたところがあって助かるわ」と訪問すればするほど地域に役立っているのだなと実感するようになりました。そこで気付いた事は「地域の人たちは本当に自分たちを信じ頼ってくださる、頼ってくださる事に感謝しなければ、感謝のお礼として地域の方に私たちの技術・知識・体力で恩返しをしなければ」と思えるようになりました。

 ここは私が生まれ育った地。子供の頃から地域に育てて頂いたという気持ちも高まってきたため、商圏を変えました。今迄の商圏は京都市一円でした。それを店中心に直径2kmに絞りました。「とことん地元に尽くそう、何かあったらすぐに駆けつけよう」そんな想いでこの距離にしました。これからも地元を愛し、地元のために何か自分達に出来ないかを更に考えていきます。

(長嶋屋外観。まさに町のデンキ屋さん。)

Q: 地元の方も地元のお店に相談できるというのは、とても安心につながりますよね。

 暮らしていく中ではいろんな「不」が起こります。「不」とは「不安」「不満」「不便」「不快」「不足」。お客様の不を自分たちの技術や知識で取り除くことが私たちの仕事だと捉えています。その「不」を取り除くためにお客様宅に訪問します。何かありませんか」ではなくて「何かお困りごとありませんか」「何かお手伝いすることありませんか」を合言葉にしております。近くて利便性があり、気軽に何でも相談できる店づくりを更に高めていきます。

これからも地域とともに

Q:地域で求められていることを常に感じ、挑戦し続けている長嶋屋ですが、今後どのようなことをしていきたいと考えておられますか。

 最終的に目指していることは、2つあります

 1つ目は、「デンキの病院」の全国展開です。フランチャイズという形、もしくは全国に事例発表する場をつくりたいのです。お金儲けではありません。町のデンキ屋業界でも高齢化が進み、後継ぎをされる方がおられず廃業せざるをえない現実があります。そんな方たちに町のデンキ屋の経営に希望を持ってもらうためです。現在は未完成ですが、私たちが体を張ってその仕組みを創っている最中です。自信を持って勧める段階になれば発信していきます。断言できるのは自分たちが取り組んでいる事で地域の方は必ず喜んでいただけます。その事を実感できていない全国におられる町のデンキ屋さんに伝えていきたいと考えています。今は「デンキの病院」は全国にこの一店だけです。47都道府県、いつでもどこでも気軽に頼め、暮らしの困りごとを解決してくれる町のデンキ屋「デンキの病院」を創っていきます。

 2つ目は、『町のデンキ屋学校』をつくりたいと思っています。過疎化地域や離島で町のデンキ屋が不足しています。その地域で育った子たちに「デンキの病院」流の町のデンキ屋ノウハウを伝授し故郷に持って帰り地域貢献してもらいたいのです。故郷に錦を飾って欲しいと考えています。よくプライベートで離島に行きます。その時に「息子を都会に就職させたが心労から潰れ、帰ってきてからも働く意欲がなく困っている」と嘆いておられました。それならそういった人を我が社で引き受け、最短5年で一人前に育て故郷で役に立つ人になってもらえるような人材教育をしたいと思いました。1年目は資格と技術の取得、2年目は社員のサポートしながら地元を知り、3年目は顧客担当を持ち、4年目は経営模擬体験をし、5年目は総まとめと故郷に店を出す準備をします。

 これら二つの方法で地域が喜ぶデンキの病院を全国に広めていきたいです。

Q:専門知識のいる電気の分野で、あえて電気以外もするというのは、簡単ではないですよね。

 とてもハードルが高かったです。何故なら電気屋は目に見えない電気を安全に施工し、使えるようにするため国家資格制度があります。その資格を持った者しか工事や修理ができません。しかし、資格を持っている事が邪魔をするのです。4年前までは、資格を持っているという事で電気屋としてのプライドが高かったのです。しかし、プライドだけでは多くの方を救えません。今は世の中が「電気屋」を求めているのではなく、「困りごとを解決してくれる人」、「安心して頼める人」を求めています。

 そのため、一旦電気屋は横に置き、柱となる部分を「地域の暮らしの困りごとの解決」にしました。電気の仕事が入れば今迄通り知識や技術を活かすことができます。これまでは入口が電気のサービスでしたが、今はお客様が本当にしてほしいことを入口にしました。そうすることで地域の方の役に立ち、暮らしで困っていることを全て解決でき、本当に地域に必要とされる店づくりができるからです。

 今は顕在化されている事がメニューとなっており依頼を受けていますが、今後は地域の方と深く関わる中で潜在的なメニューが益々増えてくると思います。それらの要望に応えるために知識を高め、技術を磨き、人を雇用し、地元にもっと貢献できればと思っています。まだまだ発展途上の町のデンキ屋ですがこれからも地域を見守る町のデンキ屋としてどうぞよろしくお願いします。


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