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【UTTOCOな人】河村司郎さん_vol.34 2019

更新日:2019年11月25日


 伏見区内にもたくさんある、シニアの居場所。男性シニアの参加者はあまり多くありません。そんなか、久我ではシニアの居場所の1つとして、単身高齢男性を対象とした「料理教室」を開催されています。

 今回は、居場所づくりに加えて、地域でのさまざまな活動に精力的取り組んでおられる久我社会福祉協議会 会長の河村司郎さんにお話を伺ってきました。


こだわりの料理教室


Q:単身高齢男性を対象にした「料理教室」を開催されていますが、そういった方が引きこもりになってしまうということを地域で聞いたり、感じたりされたところからスタートしたのでしょうか。


 そうですね。僕は、自治連合会の会長を5年ほど務めていました。そのなかで、単身高齢者男性のお宅を訪問していましたが、家の中から出て来られません。それは奥さんが亡くなられたショックな気持ちや何をしていいかわからない気持ちで外に出るのが難しくなっておられるからだと思います。

 地域に一人暮らしで介護保険が必要な人が多くいらっしゃいます。そのような方は、民生児童委員さんや老人福祉委員さんがご家庭を訪問されています。訪問の際に、今度、料理教室を開催することを伝えていただきました。そこから来てくださったのは、3名程度です。自分の殻を破るのはなかなか大変なことですし、家でインスタントラーメンを食べている人も多いと思います。そういう人たちに出てきてもらうのは時間がかかるので、そのうち来てくれるだろうと思い待っています。

 老人会にも呼びかけ、第1回目の料理教室はスタートしました。65歳以上の一人暮らしの男性シニア、食育指導員さん、老人福祉委員さんが参加してくださっています。第1回目から多くの人が来てくれて嬉しかったですね。


Q:第1回目から多くの方が来てくださったんですね。そのようにしてスタートした取組のなかで印象に残っていることはありますか。


 料理教室1回目から少しずつ参加者の顔が変わってきたことです。それはとても嬉しいです。最初は、みなさん静かで緊張していましたが、2回目以降は「こんにちは」、「おう!」と挨拶から始まり、徐々に仲良くなってきています。

 僕の目的は、居場所づくりの1つとしての料理教室であることと友達づくりの場であることです。65歳を過ぎた男性がすぐに仲良くなるというのは難しいことです。例えば、参加者が20人いれば、その中には気が合う人が1人くらいいるのではないかと思っています。料理をするテーブルは異なりますが「あの人とあの人は仲良くなりそう」というのは、少しずつ感じられます。

 シニアの料理教室は全国各地で実施されていますが、地域の団体が自ら実施しているのは他に例がありません。多くのところでは、行政がどこかの料理教室を設定し、材料を用意しています。京都市はじまって以来の地域住民による地域住民のための料理教室になっています。実施にあたってはなかなか簡単にできないこともあります。軌道にのればいいですが、民間の手で第一歩を踏み出すというのは、とても力がいります。


Q:居場所づくりを行うなかで大切にされていることや心がけておられることは何かありますか。


 人間関係を保つために、毎月葉書を参加されているみなさん一人ひとりに出しています。一度、年間のスケジュールをお知らせして終わりではなく、血を通わすことが大切です。勉強になるかと思い、ミニコラムも葉書に書いています。

 また、先日、初めて久我社会福祉協議会というベストを僕がつくりました。それをすこやかサロンで着てもらい、評判もよかったです。ベストにはスタッフなど書いていませんが、ボランティアも役員もみんな一緒のベストを着ました。「自分もこの場をつくっているんだ」という意気込みや一体感をつくれたように感じました。

(みなさんおそろいのエプロンをつけて料理教室に参加しておられます)


Q:「料理教室」だけでなく、その他にもさまざまなシニアに向けた取組を展開されていますよね。そのお話も聞かせていただけますか。


 シニア同士が和気藹々と集えるようにと思い、うたごえ喫茶をスタートさせました。また、キーボード教室も開催しています。昭和20年代に生まれた方のなかでは、貧しい時代だったのでピアノを習いたかったけれど、習えなかったという方がいらっしゃるということを聞きました。何かできないかと思い、ピアノの先生に来ていただき、月2回開催しています。

 最初は、右手だけで演奏していましたが、最近では、両手で弾けるほどみなさん上手になっています。七夕コンサートやクリスマス会を開き、みなさんには演奏をしてもらっています。参加者は、主に女性だったのでですが、最近は男性も参加してくださっています。

1つひとつの取組に魂を込めていかないといけません。ただやっているだけでは、横のつながりができません。リーダーとなり実施している僕と他2名の人が一生懸命しないとみんなついてきません。僕が引退してもやっていけるようにと思い、後継者を育成しようとしていますが、なかなか難しいです。ひとまず、80歳まではやろうと思っています。笑



久我地域とのつながり


Q:伏見区の久我という地域で河村さんは住まい、活動をされていますよね。もともと久我のご出身ですか。また久我はどのような地域ですか?


 生まれ育ちが久我です。地元でないとここまでできません。40年間ずっと久我を出ていましたが、地域に住むからには恩返ししたいという思いがありました。

 久我は農村地帯ですね。農村地帯が昭和45年くらいから急激な京都市のベッドタウンになりました。当時、人口が約2000人の地域だったのですが、現在の人口は約15000人です。

 久我は、交通の便がよくないため市バスの本数を要求し、増やしてもらいました。そのため、市バスの本数が多く、南北道路・東西道路で車やバスがひしめき合っています。田んぼは昔に比べると少しずつ少なくなってきています。


Q:久我でさまざまな活動をされている河村さんですが、今のように地域で活躍される背景にはどのような思いがあるのですか。


 7年ほど前、台風の影響で嵐山が大洪水になったことがありました。その時、久我も大洪水になりかけました。堤防がありましたが、水がオーバーフローで流れ出しました。僕はカメラを持ち、朝5時から地域を周って写真を撮りました。その時に、地域住民が一致団結して、小学校の体育館に集まろうとなったら、すぐに集まれる体制にならないといけないと思いました。携帯電話を持っている人に電話しましたが、通じません。これではいけないと思いました。

 みんなで楽しく生きよう、いいまちにしていこう、頑張っていこうという気持ちになりました。消防団、自治会、土木委員、民生児童委員と情報を共有しながら、体制づくりを行いました。90歳のおばあちゃんが水浸しになっていたら助けにいかないといけません。みんなはその状況がわかりませんが、老人福祉委員は地域の高齢者のことをわかっていらっしゃいます。その情報を無線で共有し、助けにいくという体制をつくりました。今、その体制はつくれています。僕の原点はそこからです。

(久我地域にある菱妻神社の氏子祭「千種祭」での「千種囃子」の様子

  地域内を練り歩くお神輿や子ども神輿などもあり、とても賑わいます)


Q:久我地域は、若い方も多く住んでいらっしゃるイメージがあるのですが、地域と若いみなさんとのつながりはいかがでしょうか。


 地域の神社の総代をしていたときに、新住民さんに神社の氏子になってくれませんかというアンケートをとりました。みなさんの回答の多くは、子どもが大きくなったらこの地域を出て行くかもしれないというものでした。そのような人たちは多くいらっしゃり、久我はこれから空き家が多くなるのかなと思っています。

 現在、久我は65歳以上の高齢化率は低いです。しかし、多くの人が自治会に入らないため、自治会だけの高齢化率をみると高いです。「自治会に入るメリットはなにかありますか?」と聞かれたら「入ることがメリット」とこたえます。横のつながりができますし、みんなでお金を出し合い運営し、いざというときに助け合います。



住みよい久我、住んでよかったと思える久我


Q:活動をされるなか、1から活動をスタートしていくなか、で大変なことはさまざまあると思います。そのなかで河村さんはどのようなお気持ちでいらっしゃるのでしょうか。


 1番は、「どうにかなるさ」という気持ちです。座右の銘ですね。失敗することにも意味があると思っていますし、足もとを固めてやっていくことも大切ですが足元を固めすぎてもうまくいきません。

 昨年の4月に大腸ガンが見つかり、手術をしました。その後、経過もよく、今は体調も問題ありません。生きているなら、命をもらったようなものだと思い、徹底的に世間のために尽くそうと思っています。自分が生きているのではなく、生かされているかんじがします。私の父親も母親も長生きしているので、それなりにいきられるかなと思っています。笑


Q:今後、「こんなことをやりたい」ということや展望を教えてください。


 僕は「住みよい久我、住んでよかったと思える久我」をコンセプトに活動をしています。今後についてはいくつかありますが、まず1つ目は、「ラジオ体操」です。朝6:30に起き、元気にラジオ体操して、ご飯を食べるという早寝早起きの習慣をつけてもらいたいです。それにより、家を出る億劫さをなくすことができるのではないかと思っています。

 そして2つ目は、「歩こう会」です。伏見は水巡りなどみんなで歩いて周れるスポットがありますよね。歩こう会は、とてもみなさんからのニーズもありますし、頑張ってやろうかなと思っています。「やります!」という人がでてこない限りは、すべて自分が出て行きやるつもりです。

 僕は、かつて新聞記者の仕事をしていました。その仕事をしていたことでさまざまなことを見てきましたし、地域がこうなればいいなと思ったことがあります。いいとこ取りで、「こういうことをやろう!」と夢をみて実現していくというのはやりがいになります。



-編集後記-

 河村さんを知ったのは、伏見区区民活動支援事業の事例集でした。シニアの居場所づくりにおいて男性の参加が少ない、運営が大変ということはよく耳にします。地域のみなさんが困っておられることに、自らチャレンジしていく河村さんはどんな方かとても気になり、取材をお願いしました。

 お話を聞くなかで、地域や活動に対する強い思いを感じました。失敗を恐れては、何もはじまらないということを改めて感じ、一生懸命地域で活躍されている河村さんだからこその言葉であり、重みをとても感じました。

 河村さんは、新聞記者さんとしてお仕事をされていました。今回の記事を確認いただくときは少し緊張しました。お褒めの言葉をいただきましたので自信をもって、掲載したいと思います。笑

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