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執筆者の写真伏見いきいき市民活動センター

【UTTOCOな人】大下宗幸さん_vol.15 2015


伏見区役所の4階は会議室などがならんでいます。その一画に京都市伏見青少年活動センターがあり、ロビーは多くの人で賑わっています。

 スタッフのみなさんは、様々な経験をお持ちです。今回は環境NPOで働き、次のステージとして京都市伏見青少年活動センターで活躍しておられる大下さんに、キャリアと今のお仕事に至るまでのお話を伺ってきました。

―京都市伏見青少年活動センターとは!?

名前のとおり青少年(13歳以上~31歳未満の方)がいろいろな活動をする拠点となる施設です。市内に7か所ある青少年活動センターは、京都市により設置されていますが、青少年が本来もっている能力や個性を、最大限に伸ばせるよう支援していこうという「ユースサービスの理念」に則って、公益財団法人 京都市ユースサービス協会により運営されています。(HPより)

伏見区役所4階の青少年活動センター

Q,最初に「社会や地域」に感心をもったのはいつ頃でしょうか?

実は中学2年生の頃に「世界平和」を意識し始めました。(笑)

中学生の頃、ちょうど世の中で大人たちの「不祥事」のような事件報道が増えはじめ、神戸連続児童殺傷事件などもちょうどこの頃でした。「何か世の中がおかしいぞ!?」と感じ始め、思春期のいろいろな思いが重なった時に、「世界平和」というキーワードが出てきたんです。

Q,中学生の頃から動き始めていたんですか!?

いえ、そういった思いは音楽、パンクロックへの関心につながっていきました。当時、昔のバンドですが、「ザ・クラッシュ(1976-86)」というバンドがとても好きでしたね。

 パンクロックは「反社会・反体制」のイメージで怖いものと捉える方もいらっしゃるかもしれませんが、彼らは、社会の腐敗や階級主義、人種差別を批判し、「ロック・アゲインスト・レイシズム」と言う活動にも参加し、社会的なメッセージを発信していました。

また、同時代を過ごしたいろいろな海外の多くのバンドやアーティストが、環境問題や動物愛護のメッセージを発信したりもしていました。しかし、音楽は世界を変えられるのかな?という疑問もありました。そういった思いから、大学は自然と国際系の大学を選びましたね。

 大学生の時に様々な野外音楽フェスティバルに参加し、いろいろなソーシャルな活動と出会いました。この頃の私は「音楽を楽しみにきたのにこれは何なんだ!?」という気持ちもあり、大好きな音楽が社会問題に利用されているような感覚になり複雑な気持ちでした。今思うと、とても気になる存在だったのだと思います。

Q,どちらかというと、ソーシャルな活動を傍観するスタンスだった大下さんが、「実践している人」へ意識が向いたのは何がきっかけだったんですか?

大学時代に音楽の影響もあってイギリスに留学しました。その経験から「外国の方とみんなが友達になっていったら、世界がもっとHappyになっていくのでは!?」と思い始めたんです。

そのような思いが募っていく中で、大学の「非営利組織論」という授業で「NGO(非政府組織)」に出会いました。海外で活動しているNGOのスタッフがリレー形式で活動紹介する講義形式でした。講師に来てくれた方を質問攻めにしてしまうくらいその授業が面白かったことを覚えています。しかし、就職も決まっており、一歩を踏み出すまでには至りませんでした。

Q,大下さんは京都市伏見青少年活動センターより以前は、NPO地域環境デザイン研究所ecotone(以下エコトーン)で働いておられましたよね?

大学卒業後に一度就職をしたんですが、思いが募って退職し、大学院を目指したんです。その時に実は京都市伏見青少年活動センターで自習をしていたんですよ。(笑)その時はまさかそこで働く日が来るとは思いませんでした。

 大学院進学に向けて勉強をしている中で、当時NPO法人ユースビジョンが行っていた、「長期実践型NPO・NGOインターンシッププログラム」に出逢うんです。自由な時間もありましたし、ものは試しと半年間NPOやNGOでインターンができるこのプログラムに飛び込みました。

 このプログラムでは様々な分野のNPOやNGOが受け入れ先としてあったのですが、その中で、環境をテーマとするエコトーンを選びました。実はそれ以前に、大好きだった音楽イベントで、エコトーンのリユース食器を使っていて、「こんなものもあるのかぁ」と思っていた程度だったのですが、その時の事を覚えていて、「あの時のNPOか!」と運命を感じて(笑)エコトーンでインターンを始めました。

 音楽への興味がそもそものきっかけですが、地域のお祭りから学園祭、大規模音楽フェスティバルでリユース食器導入を中心とした、環境配慮型のお祭り・イベント実現に向けて活動するエコトーン、スタッフは非常にかっこよく見えましたね。

 一歩踏み出すとこれまでとは全然違った風景が見えてきて、私もあんな風になりたい!と思い始めました。自分の大好きなお祭り・イベントといったハッピーな空間からソーシャルなメッセージを発信する、そこに共感と確信を感じたことを覚えていますね。

傍観者から実践者に変わった瞬間です。そうして、事業拡大に伴い、運よく(笑)エコトーンで働き始めました。

イベントでのリユース食器回収ブース(エコトーンブログより)

個人的にはエコトーンの活動では、「リユース食器という新たな選択肢をつくる」という事が大事だと思っています。「リユース食器を選ばなければいけない」とは言いません。

 「環境に優しいからこれを選ぼう!」という運動も重要ですが、日常の中で「これが欲しい!と思って買ったものが、結果的に環境に配慮したものだった」というような、自然と選ばれるような商品の開発やビジネスモデルの構築もあわせて必要だと思っています。

 働き始めてからは、寝食を忘れてどっぷりと活動にのめり込んでいましたね。この時に京都の様々なNPO・NGOのみなさんとの交流やつながりが増えました。分野は違えど、同じ社会問題に関わる仲間として、日々、勉強会や情報交換をしていました。それは今でも変わりません。

そして、その頃も、現在も第一線で活躍しているNPO・NGOのみなさんが本気で「社会を変えるぞ!」と言っている姿に感銘を受けました。ずっと思っていた「世界平和」というキーワードは、どうやったらいいのか解らなかった中で、「自分が何か一歩を踏み出せば確実に社会は変化している」、「社会は変えられる」という事に実感が湧いたんです。

その頃から「人が変われば社会は変わる!」という思いが強くなってきました。

Q,環境の分野で第一線で活躍してこられた大下さんが、(公財)京都市ユースサービス協会へ転職するのは、どのようなきっかけがあったんですか?

エコトーンでの仕事の中で、年間1000人以上の本当にたくさんのボランティアスタッフやインターンと出逢いました。活動を通して、自分が変わることができた、と言ってくれる人や、ボランティアスタッフからNGOに就職したりする人も現れはじめました。「大下さんに出逢った事がきっかけだった」と言ってくれる方もいました。

こうした経験を通して、徐々にこれからの社会を担う若者との関わり、支援や仕組みづくりを深めたいと強く思うようになり、(公財)京都市ユースサービス協会、青少年活動センターの仕事に関心が高まっていきました。

 現在、京都市伏見青少年活動センターでユースワーカーとして勤務しているのですが、エコトーンとの大きな違いを、そしてその違いこそが魅力だと感じています。

それは、NPOでのボランティアなどの活動の多くは、その団体のミッションに共感した若者が集まりますが、青少年活動センターはというと、ボランティア活動をしたい人やそうでない人、ただバスケをしに来ている、自習できるから、なんとなく、学校や仕事がうまくいかない等、本当にいろんな若者が多く集まるんです。

そして、そこには若者と関わるプロフェッショナルである、私たちユースワーカーがいて、若者自身が意図せずに興味関心を高めたり、社会性を身に付けることができる、また、社会参加のきっかけとなる、手前味噌ですが(笑)、本当にすばらしい施設であり、社会に必要な仕組みであると感じています。

中学生の頃思っていた「世界平和」、そしてエコトーン、(公財)京都市ユースサービス協会を通じて、「人が変われば社会は変わる!」といった思いは日々益々実感を伴ってきています。

 今後も若者との関わりをもっともっと深めながら、ソーシャルな活動に邁進していきたいですね。

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